velengel++

徒然なるままに.

正論ロボット

まえがき。

こういうのって非生産的なんですけど。

暇なら読んでくれると嬉しいなって感じ。

これがわかったからどう、というものでもない。

まあ非生産的なことを考えてまとめられる時間があるってのは、平和の証拠だよね。 

 

1.論理と感情について。

論理とは

論理っていうのは、ある事柄を考える過程の一つです。これは主に数学(:例)という学問でよく使われるものですが。

我々は学問に対してはニュートラルでなければいけません。が、これがこうなると嬉しい、みたいなのはよく使われます。

私たちが教科書でお勉強するようなよくできた綺麗な「論理」っていうのは当たり前の積み重ねであることが多いです。

だっていきなり複雑な難しいこと言われても分かんないし。

ですが、論理ってのはそれだけではありません。というかそうでないところから出発しているのです。

じゃあどこからかって?何もないところからなんだよな。

よく例に出されるのは1+1=2みたいなやつですね。

1って何!+って何?=って何?本当に足せるの?同じ空間内で閉じてる?そもそも空間って何?みたいな。そういうの。

リアルにいたらめんどい人。

じゃあどこを考えるのか。それを明確にするためにお名前をつけるわけです。命題

それ本当に正しいの?って考えることを証明っていうことにします。

別に命題が間違ってたら偽であることが証明されるってだけ。

それを証明するために必要なものは補題とか言われたりします。それを証明すると容易に導ける(ほんまか?っていっつも思うんですけど)ものはとか言われます。

これを証明できたら何が嬉しいか、何が証明できたらこれが言えたことになるのか、みたいな、両方から攻めて、それでどうしても必要だってなった命題の場合、定理とか大定理とか大仰な名前がつきます。

命題の証明の方法にはいろんなものがありますが、よく使われるのは仮定(+背理法)と対偶ですね。

なんとかをなんとかと置く、とか、対偶を考える、すなわち...とか。

論理ってのはこんな風に周りの命題との繋がりを通じてできあがってるわけですね。

だから、当たり前のことが積み重なってる感が、論理的である、に繋がるのでしょう。きっと。

論理って説明するのむずすぎるから数学っていう具体例あげたんだけど、ただの言葉の説明の羅列になっちゃったね。あーあ。

まあよく使われるものには名前がつきます、みたいな。

 

参考:推理

推理っていうのは、すでにわかってることから、わかってないことを推し量ることです。これも仮定が頻繁に使われますね。積み重ねてくので論理的とも言えるでしょう。

 

感情とは

主に認知科学の分野の授業を取っていたので(ちゃんと受けていたかと言われると微妙なんだけど...)、その意味で、ですけど。

何が言いたいかっていうと、情動(:強いほう)と気分(:弱いほう)は区別して情動について考えようということですね。

感情とは、期待値の差(:温度差)から生まれるエネルギーですね。

期待よりよかったら、嬉しい。

期待通りだったら、まあ満足。

期待未満だったら、落胆、残念、失望...

これ、本当に邪魔なんですよね。まあ記憶の定着には役立ちそうだけど。

人間が生存するために必要だったのかもしれないけれど。

 

こう思ったけどこうじゃなかった(こうだった)からこう感じた、感が強ければ強いほど感情的っていうことですね。

 

ところで、正論ってなんなんでしょうね。

正論とは

正論っていうのは、ある物事について、「一般的には」こう考えられているとか、「普通に」考えればこう、みたいなやつです。

これが伝わらない理由をぼんやり考えてたんですが、こう考えてみると明らかですね。これ、論理的でも感情的でもないから納得できないんですよ。

人間が求めてるのは共感とか理解であって正論ではないわけですね。ここを履き違えると温度差が発生します。それは感情につながります。それが表出するとヒリつきにつながりますね。やれやれ。

 

 まあ一般的に対義語とされる通り、論理と感情ってのはかけ離れてますね。

 こんな二つのものに共通点があるのでしょうか。ここでお得意のメタ的思考を取り入れてみる。

 

2.共通点。

当然のことなんだけど。

共通点は、ズバリ表現するということにあります。表現方法云々ではなく、表現という過程を経て人に伝わるというところに共通項があるわけ。

発話を具体例に。

論理的に表現するっていうのは、筋道立てて、積み重ねて、整理して人に話すっていう感じ。

感情的に表現するっていうのは、怒鳴ったり、喚いたり、はたまた静かな声で冷静に話したりっていう感じ。

それが伝わるかどうかは別問題。受け手にも問題がかぶさるから。

じゃあどう表現するかって?正解はないことだけはわかってる。

それは僕もまだ表現工学科でお勉強中だからわかんないかな。アートっぽくした方が面白いよね。アートの対義語ってなんなんだろ。

一般的には「自然」らしいけど、今僕が言いたいのはそういうことじゃないんだよなあ。いや、そうなのかもしれない(排中律)。

 

感情表現

まあ論理表現とか、道具揃ってればどれも正解判断できるくらいには似通ったものになる気がするので。少なくとも今回の趣旨ではないので。

感情表現について。

いわゆる「 ロボット」って、感情ないと思われがちじゃないですか。(暴論)

まあ実際ないと判断されると思うんですけど、それってなんでかなって思うと、人間がそう判断してるからなんですね。

じゃあ人間ってどこで判断してるんでしょうって考えると、感情表現から判断してるわけです。

嬉しかったら、全身で踊って表現したり、悲しかったら、表情や声色に現れたり。

これは大げさな例だけれど。

これが下手な人、周りに伝わらない人は、「感情がない」とか「ロボットみたいだ」って言われると思うんです。

誰のことかな。

正直、未来にはロボットの方が感情表現がうまい時代がやってきそうだよね。恐ろしい。じゃあロボットらしさってなんだよ、人間らしさってなんだよ、ってところが覆ってきそう。ウケる。

 

3.まとめ

正論は論理的でも感情的でもないから受け入れられない。

ロボットは感情がわからないのではなく、感情表現が伝わってない。

正論ロボットにならないようにしたいなあ。