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徒然なるままに.

Drastic Calendar

第一章   年の始まり、カレンダーの始まり

 

「カレンダーが、ほしい」

きっかけは、小さな思いつきだった。

我が家の至る所に飾られているカレンダーは、基本的に父親が会社から貰ってきたものだ。そのほとんどが無機質な大きい、書き込めるタイプのカレンダーで、それはそれで重宝していた。たまにある黄色い猿のキャラクターの描かれたカレンダーなんかは、子供の頃の僕にとってはとても魅力的に映ったものだ。

しかし、僕ももう成人式を迎えようとしていた。家の壁の中でも重要な大部分を占めるカレンダーは、無機質なものが多くなっていたのだ。そんな時にふと、思った。

その頃は距離の近かったtwitterに、思いつきをつぶやく。

 

 

 

6件のいいねがすぐに来た。そのほとんどはCG研によるものだった。

多分これは需要がある。そう確信すると同時に、ただひとつ僕には大きな懸念点があった。

絵が、描けないのだ。

別に今まで避けてきた訳ではないが、かわいい美少女キャラを描いたり、キレイな背景を描いたり、受肉したり……そういった、いわゆるCG研の分野を実際にやってみる経験が、僕の今までの人生の中にはなかったのである。

5月に思い切って買ったペンタブはホコリを被っていたし、まだ一年以上あるクリスタの契約期間もこのままでは無駄にすることが目に見えていた。だから、とりあえず表現のツールとしての最低限の「お絵描き」を「お勉強」した。MIDIとプログラミングしかやってこなかった僕にとって、これはとてもハードな挑戦だった。幸いなことに、数は少なかったが同級生に信頼出来る絵描きがいたのが救いだった。

色んなサイトや本で基本を勉強し、素材をちゃんと見て描くことを覚え、その過程でツールや用語などの知識もついた。とても恥ずかしいが色んな絵描きの人に自分の絵を見せ、どこが良くてどこが悪いのかを言ってもらった。ポイントはちゃんと言葉を選んでくれる人に見せることである。

もちろんそれらを生業としている人達には到底追いつくはずもないが、少なくとも共通言語としての「絵描き」のスキルは付け刃ながら身につけた、と思う。この時強く感じたのは、基礎だからといって簡単な訳ではなく、かといって特別壁を作るほど難しいものでもない、ということだ。

たとえば、線を描く時は、もちろんいずれは綺麗につなげてかけなきゃいけないけれど、まずは強弱やメリハリといった全体の印象を決める方を意識して練習した方がいい、だとか、一部を描きこんで全体がアンバランスになるくらいなら、全体をならすように描く、もしくはその部分だけアップにしてとりあえず完成させるのがいい、とか。塗りも最初から「カミエシ」のような絵を見たところで何も参考に出来ないから、とりあえず最低限の影と陰とハイライトを覚えたら色相をいじってそれっぽくする方が手っ取り早い、とか。聞いて、実際にやってみた上で改めて他の人の絵を見てみると、確かにその通りなデジタル絵も数多く存在することがわかった。同時に、「意思のこもってない絵」というのも見抜けるようになっていた。

「意思のこもってない絵」とは、全体としての統一感がなかったり、いわゆる絵に対する「想い」が感じられないものである。「このキャラの太ももが可愛いから見ろ!」「顔がいいから見て!」のようなものである。多分絵描きの人でこれを全く感じない人はいないのではないだろうか。

こういうのがわかるようになるのは、成長であると同時に、ある種の寂しさを覚える。今までだったら何も感じなかった絵にも、きっとマイナスな感情を抱いてしまうからだ。それでも、これは必要な変化だった。「みすカレンダー企画長」として、みんなを引っ張っていくために。

 

次回更新:3/5