velengel++

徒然なるままに.

Drastic Calendar 9

第九章:「ぼうけんのしょ」の作り方

何かを始めるのに、遅すぎることはない。
よく言われる言葉だが、僕はこの言葉に対しある一つの仮説を立てている。それは、大学生までに始められなかった趣味を社会人になった以降に始めるのは難しいということだ。多分、ここまで時間と体力があり、お金が頑張れば手に入り、自由に使えるリソースがふんだんな若い時期に手を出せなかったものが、その後の人生で引っかかることは大概の人間には少ないと思う。大学生活は何かを深めることにも広げることにも使える。理想を言えばどっちもだが、僕は、広げることに特化しても悪くはないんじゃないかと思う。広げるうちに深まっていくこともあるし、その逆も然り。人生におけるあらゆる物事の学習は螺旋階段のように、同じところを回っているようで実は成長しているものだ、と僕は信じている。

さて、この企画ではいわゆる「デザイン」というものを担当した人がほとんどいない。まつりさんはCG研会長なのでサポートに回らざるを得ない。えんしんにはクレジットページを既に任せている。
こういう時はどうするか。
わからない人同士で会議しながら、調べながら、もがいて進んでいくしかない。事実、前章までのようなコンセプト決めが終わった後はずーーーーっと「した」について議論していたような記憶がある。僕は当然ながら企画会議のほぼ全てに参加していたので、その気持ちはさながら出口の見えない迷路を彷徨っているようだった。
私情を挟めば、夏休みはインターンが三社あり、あまり企画のみに注ぐことはできないことが確定していた。まあ、大学生はなんだかんだ予定が入ってしまうので、企画のみに注げるみすの人なんてほとんどいない気がするけど。ここで問題となるのは統治者、「した」のデザイン担当者である。よくコミュニケーションをとってくれるしおちゃんには既に裏表紙の管理を任せていたのでオーバーワークだし、その他よく会議に来てくれる人は軒並み絵のタスクをたくさん抱えていた。この企画での働き者は他の企画でも働き者なのである。そんな時、候補者に一人頭をよぎったのが、ラフとは何か聞いてきたあのアイコンである。

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深夜3時などにもかかわらず、気になることがあったら貯めずに企画長に聞きにこれる姿勢を信頼して、てぃらみーに「した」の統率を任せた。会議でチラッと上がっていた、夏休みのイラレ講習会をとても楽しみにしていたらしいのでとても申し訳なかった。結果論だが、この子に任せたのは大正解で、丁寧な連絡、隙のないリマインド、わかりやすい言葉選び、安定のクオリティの絵を誇っていた。テンプレートを作成し、あとでdropboxに上がってくる素晴らしい絵たちを僕は眺めているだけでよかったのでとても楽で助かった。

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お知らせの例。説明は上手。

初めての人たちが集まっても、頑張ればこれくらいのものが作れた。始めてみないことには、得意も不得意もわからないからね。

こうして、カレンダーの「した」ができました。