velengel++

徒然なるままに.

Drastic Calendar 3

第三章:まつりづきの、その前に。

 

世の中には2種類の人間がいる。変わりたい人間と、変わりたくない人間だ。

みすカレンダーに入ってくるであろう人間は、CG研がほとんどだ。加えて、この研究会は傾向として昔から趣味で描いてきて、これからも描いていく、というような人が多い。経験から言って、そういう人は後者の人間が多い気がする。偏見かもしれないけれど。

誰しも小さい頃はお絵かき、落書きをして楽しんでいたはずなのだ。けれどいつしかそれは、「上手い」「下手」「可愛い」「芸術的」などと評価され、一部の人しかやらない趣味になっていく。そんな中でも描いていたということが、彼/彼女らの絵からはうかがえる。それを尊重しつつ、いかに最高のカレンダーを作り上げるか。それが課題だった。

大学は、能動的な人と受動的な人が共存し、同時に浮き彫りになる残酷な空間である。それはすなわち、そういう人たちが企画でも共存することを意味する。描きたいものしか描きたくない人に最高のパフォーマンスを出してもらう方法自体は簡単で、その人に全て決めて描かせることだ。それは彼/彼女らの今までの生き方からも性に合っていることだろう。

ただし、一つ大きな問題がある。締め切りを守らない傾向があることだ。

この人たちの「完成」の基準はただ一つ、自分が満足するかどうかだ。そして、それに達しない絵はボツになる。クラウドファンディングで目標額まで達しないとパトロンに返金されるようなものだ。もったいない。

もったいないが、これがこの人たちのこだわりなのだ。それを捨ててできた絵にいいものはできにくい。

そのために、とてもしっかり計画を練って企画を進めた。

最初にアンケートを取り、どの月で何が描きたいかを何となく決めてもらった。希望通りの月にいかないこともあるが、それは諦めてもらう。

次に、3週間の締め切りでラフを描かせた。これはかなり緩めの方だと思っている。要は描きたいものを決めるのに1ヶ月ほどかけてもらったのだ。

ついでにペアを組ませた。合作は締め切りを守らせるいい規律を発生させる。

あとは企画として当然のことだが、定期的に会議を立ててモチベーションを保ちつつ疑問点を潰した。ある時は作業会となって終わることもあった。楽しかった。もちろんお知らせはきちんとした。これは会計・企画長の経験から僕の得意とするところだった。

だから正直、半分くらいの班が期限内に提出した時は、脳の予定がバグった。嬉しい誤算だった。

そして、みすカレンダーの隠れた入団条件も設けた。それは、自分から企画に入りたい!と僕に宣言することである。

企画は言ってしまえば「お遊び」だ。倒れたところでネタになるだけで社会的に迷惑がかかるわけでもない。そしてこれに対する意見もまた二種類に分かれる。お遊びだからてきとうでいい、それが自分たちのオリジナリティだ、と言い張るような人たちと、お遊びだからこそ本気でやりたいという人たちだ。もちろん僕は後者で、後者のような人たちと企画をやりたいと思っていた。流石に全員がそうとまではいかなかったのが正直なところだが、少なくとも全ての絵があがるまで企画員が蒸発しなかったのはこういう線引きがあってこそだったと思う。

3月のうちに入稿関係の処理を丸投げするためまつりをなんとなく企画に引き入れておき、いよいよB3の幕が開ける。