大学生活を振り返って
はじめに
こんにちは.べるです.最近はキャプボを買って実況の真似事をしてます.
https://www.twitch.tv/velengeling
もうすぐ卒業式で,新社会人になるので.
楽しかった(?)大学生活を覚えてる範囲で振り返りたいと思います.
1年生 2017/04 - 2018/03
いろいろ初めてで,慣れないことが多い一年でした.
当時の僕は真面目だったのではなく,手段として「真面目」しか持ってなかっただけのような気がします.講義は出るのが当たり前,作曲を始めたなら発表会は出すのが当たり前.そんな風に自分を縛っていたような記憶があります.
だってそんなに楽しくなかったんだもん.
色んな人と出会うと,必然的に大なり小なり衝突します.今も連絡を取ろうと思えば取れる人がいてくれるのは,端的に当時の僕が引き気味で,それが正解だったからです.
深く関わろうとしたり,いきなり自分のペースで接しようとしたら,それだけ離れるのも早くなる.
なので僕は,消極的選択として,「ほどほどに」人と付き合う道を選びました.
不快ないじられ方をされたり,謎にバカにされても,笑ってその場をやり過ごせば関係が壊れることはないですからね.
「あーあの作品の人なんですね!」って言っとけばやり過ごせるサークルだったのも大きかったかもしれません.
後にこの作品と人を一致させたり,それを褒めるというスキルは,僕を救ってくれることになります.企画やる上でね.
何が後に役立つかわからないですね.生存戦略も武器になりうるわけです.
ここまで人付き合い的なところしか言ってないんですが,それくらい講義の記憶が薄いです.自分で言うのすごい恥ずかしいんですけど,僕真面目だったので,推薦とはいっても多分半分より上くらいは勉強してきてるんだろうなという予感がありました.事実そうだったと思います.教養科目からのほうが学ぶことが多くて,必修の英語やプログラミングは一度やったような,やってないような内容をもう一回やる事が多かったです.でも,数学科目の線形代数と微分積分はとてもたくさんの収穫がありました.
線形代数は,一度計算しやすい世界に落とし込んでから戻すという考え方や,そもそもそれが成り立つのか確かめる:証明するという考え方を授けてくれました.微分積分は,それができるようになるまでを定義から追っていく進め方で,いい意味での名前詐欺講義でした.とても楽しかったです.当時話してた人にあーいう内容あったよね?って聞いても全然覚えてないのは悲しいんですけどね.
結局課題やらないと人って身につかないんですよね,お話だけ聞いて理解できるのってごく一部だと思います.そもそもお話聞けない人も多い気がします.
興味のある技術本(Land of Lisp)をのんびりやったり,一番「お勉強」をしていたんじゃないかなと思いました.そういう意味では楽しかったです.
バイトは,とても刺激的なところに入れました.それまで全く苦手だったことや,やろうとしてこなかった部分をとても鍛えられて,入ってよかったなと思います.
2年生 2018/04 - 2019/03
「大学生」が「始まったな」とでも言いましょうか,とてもたくさんのイベントが目まぐるしく起こってしんどかった一年でした.
サークルでは来年会計になるはずなのに半分会計をやっていて,ありえないくらい新入生入会させた記憶があります.なんであんなにきたんだろうね.
過去問をもらう,などのいわゆるサボり方を覚え始めました.大学生活は情報戦とはよくいったもので,本当にそのとおりだと思います.もともと少なかった講義にかけるエネルギーはより少なくなり,いろんなことに手を出し始めた結果,体が持たなくなって死にました.
夏休みに合宿を4つ入れたり,入れられるだけバイトや勉強会入れたり.その傍ら,自分の創作と企画長としてみすかーとっていうゲーム作ってたわけで,上下関係なく心配されるくらい忙しかったです.今思い返しても,よく生きてたなと思います.まあ今思えば,あのときいろんなことをつまみ食いしておいてよかったなとも思います.あの時なにか一つに集中できていたらその能力は伸びていたかもしれないけど,その分あのような体験はできなかったわけで.
生まれ変われるなら,学科や研究室ごと変えてますけどね.
僕はなにか一つ黙々と,淡々と勉強してる分野やしてることがあって,その軸とは別で遊びやゲームを入れたい性格ということに気づきました.つまり,すべての軸が浮ついた状態だとほんとに落ち着かないんですよね.僕は落ち着きが欲しかったんです.
みすかーとのことはもういっぱい書いたのでいいかな.たのしかったです.
3年生 2019/04 - 2020/03
基本的にしんどい一年でした.2年生のときの経験から疲れに対する感覚が麻痺してしまったせいで夢中で駆け抜けましたが,今思い返してもしんどかったです.
何がそんなにしんどいかっていうと,下手に2年生より自分で自由にできる時間はあるのに,卒論や就職といった比較的大きなライフイベントを無理やり意識させられ,そのために日々行動しなきゃいけない,というプレッシャーの中生きていくのがとても大変でした.
根本の真面目が変わってないんですね.はは.
サークルでは会計が続いていて,新たに研究と就活が始まる.シンプルに精神的余裕がありませんでした.加えて,2年の終わりにいきなり院の金は出さ(せ)ないと親に言われたショックというか,人生が狂うのを感じましたね.まあ,2年の激動の中ですでに狂ってたんですけど.生きてるだけで偉いって感じです.
まあ今の社会情勢的に学部卒就職という選択自体は正解だった気がしないでもないですが,それでも自分で決めたというより,決めさせられた感のほうが強くて,辛かったです.
そう,ここまでの自分の選択,自分で決めてないんですよね.大体.
中学受験は開成に行けるほどの頭はなかったけどって感じで決めて,合格して.
高校受験はなくて,大学は推薦.
だから,実質自分で決められる初めての選択だったはずなわけです.
いろんなインターンで,ほんとに世の中には関わってこなかっただけの様々な人種がいるんだなあという感想をいだきました.大学の最初の時に笑ってやり過ごしたようなざらっとした不快感が,ここでも味わえるとは思いませんでした.
自分の体力を見ながら予定を入れる能力を授かったので,それに合わせて行動しました.コツは,誰になんと言われようと睡眠時間と美味しいご飯は確保しておくことです.愚痴り先を複数用意しておくとより良いでしょうって感じです.要は余裕を持つことですね.
研究もなかなか,半年くらいテーマが決まらず空回りしてました.自分の好きなことややっていきたいことすらきちんと言語化できてなく,なにか手を動かすくせがあるわけでもない.久しぶりに自分が人生のコミュニティの中で「できない側」に属した瞬間でした.久々すぎてどうしていいかわかんなかったですね.今でもあの時手を差し伸べてくれた人たちには感謝しています.
それでも,12月になってサークルを引退し,1月にやっつけながら研究室講評会を終えた後あたりには,もうだいぶ自分の中で大切にすべき軸みたいなものも固まってきて,腰が座った感触が合ったのを覚えています.それまでは,自分がないから振り回されてばっかりだったんですよね.
僕もそうだったのでそういう人を見ると本当に可哀想になるのですが,自分の言葉をしゃべれない人って議論ができないんですよね.「~さんはこう言ってたから」とか,もっとひどいと「~さんはこう思う,こう言うと思うから」とか.
そういう人に僕が考えてぶつけた自分の意見は,だいたい否定として取られて,すれ違って終わりみたいな.そもそも理解してもらえないみたいな.
はー,しんどいね.
僕もたくさん問われて初めて気づいたくらいですし,案外みんなそんなもんなのかもしれません.単純な技術や能力,元気さみたいなのも大事かもしれませんけどね.
あ,みすカレンダーはとっても楽しかったです.あの頃の1年生,元気にしてるかな.
4年生 2020/04 - 2021/03
コロナが諸々のめんどいイベントをふっとばしてくれたおかげで,精神的にはマシになった気がします.が,運動しなくなって結局体はあんま健康じゃない,トータルそんなに変わってないって感じでしょうか.
まーそれでも前半は辛かったですね.何しろアイデアが出ない.
同じテーマを引き継いで何周も考えて出なかったら辛いので,一度他のテーマに浮気しました.結局戻ってきたんですけど.それが良い頭の体操というか経験値になったみたいで,まあそれが実るのはだいぶ先(半年くらい)なんですが,学会に出せるくらいのものは作れました.これすらも人と何回もブレストして聞きまくった結果なんですけどね.困ったら人に聞くことができる能力を持っていたおかげで,なんとか生きてこれたのかもしれません.自分でなんとかする力は弱いんです.
実装くらいしか自分でできたって言える部分はないですね.簡単なインプリは楽しいんだなと思いましたが,それ以外は全部,先輩や教授に聞きまくってました.今一人でやれって言われたら多分できないし,教えられる自信なんてもっとないです.
バイトをコツコツ続けていた成果が一つ実って,無事大学も卒業できそうなので,まあいいです.終わりよければ.
おわりに
とある人がクソ長自分語りしてたので僕もしました.そんなに長くならなかったね.
今まで書いた自作PCや企画の話は飛ばして,書けない話もカットしてこんな感じです.薄いね.
まあいっか!w